アイスのキャラメルマキアートを卒業してアイスのスターバックスラテにシフトした人の話です。
「船から落ちる=彼らのファンをやめる」ということだと思っていた。しかし、そうではないかもしれない、と思ったのではてブロのアプリを開いてみた。
2017年7月9日、赤坂BLITZでのワンマンライブ。メジャーデビュー後初のワンマンライブ。終盤のMCでリーダーが言った「FlowBackは船で、FBFがその乗組員。誰かが落ちそうになっても絶対に手を伸ばして助ける(めっちゃニュアンス)」という言葉。全然まとまってなかったけど、必死に伝えてくれたその思い。
2019年早春、過去最多の20都市25公演のツアーが幕を開けた。横浜アリーナの下にある小さなライブハウスで語った「今ここにいない人がいてもいい」という言葉。兵庫県初単独ライブでチケットsold out、パンパンの会場で語った「前はFlowBackを応援していたけど今は応援してないよって人がいてもいい」という言葉。
どちらも「そういう人もいつでも帰ってきてライブを楽しんでほしい」ということを伝えるための言葉だった。
ただ、どうしても引っかかってしまった。1年半前は「誰も船から落とさない」と言っていたのに、船から落ちた人の存在を認めるのか、船から落ちたことを認めるのか、と。確かに、私の周りにも以前はFlowBackのライブによく足を運んでいたが最近は…という人もいる。きっと今これを読んでいるあなたも、思い当たる節があるのではないだろうか。
確かに、変わっていくことは大事だ。何事もアップデートしていかないと、同じ場所で足踏みし続けるだけだ。スマートフォンもアップデートしなければ新しく追加された絵文字は文字化けするし新しい機能も使えない。
でも変わってはいけない部分もある。いや、変わってはいけないというよりも、変わってほしくない、と勝手に思っていただけかもしれないけれど。
件のリーダーの発言は、その「変わってほしくないと思っていた部分」が変わってしまったように感じられた。
いや、感じられたんだけど、でも本人の発言やパフォーマンスからは彼の根本的な考えが変わったようには思えなくて。もやもやというか、頭の中がはてなマークでいっぱいみたいな状態が、最近続いていた。
正確に言うと、新横浜の時からその状態が始まって、兵庫で私なりの答えが出た。
ここからは私の拡大解釈というか希望的観測というかただの妄想とも言えるので、こういうことを考えてる人間もいるんだな〜くらいに思ってほしい。
TATSUKIリーダーは考え方が変わってしまったのか?という問いに対する私なりの答え。それは、「そもそも彼には"FBFを辞める"という概念がない」だ。
おそらく、彼にとって「FBFである」ということは、「日本人である」とか「1人っ子である」とか、そういった、自分自身のパーソナリティを表す、変えられないもの(変えようと思ったら変えられるけど)を表すのと同じなんだと思う。え、待ってこれ伝わってるかな。
まあ確かによく考えたら、familyすなわち家族は、余程のことがない限り家族でない状態になることはない。母親と、父親と、兄と、弟と、姉と、妹と、「家族を辞める」という感覚が(余程のことがなければ)ないのと同じで、彼にとっても「FBFを辞める」という感覚がそもそもないのではないのではないか、と思うようになった。
一度FlowBackを好きになったら永遠にFBFの1人であり、FlowBackを応援しなくなったとしてもFBFであることには変わりない。そう考えているのではないだろうか。
あくまで1つの仮定なので、本人が言った訳でもなければ、確証を持って「絶対にそう!」と言い切れるわけでもないが。
「FBFを辞める」という感覚が彼にはないと仮定すると、1年半前の彼の頭の中にあった「船から落ちる」というのは「FlowBackのファンを辞める」ことではなかったのではないか、と推測できる。
じゃあ「船から落ちる」とは何かと聞かれると、正直わからない。だから、「やっぱり船から落ちるってファンを辞めるって意味じゃん」と言われても、まあそうだよなあとしか言えない(言えないのかい)
ただ、1つの可能性として、彼なら考え得るなあと思ったので、とりあえず文字に起こしてみた。うまく表現できた気がしないけど、なんとなくでも伝わってることを願って。
ちなみに私はカフェミスト派です。あと普段あまりフラペチーノ飲まないんですけど5年前くらいに出てたストロベリーチーズケーキ?かなんかのフラペチーノがめちゃくちゃ好きでした。
2019.03.08 加筆しました